記事一覧

なんだかやっぱり?

 ちょっと前に、横になった体勢から起き上がろうとしたら、腰を痛めてしまった。別に無理をした訳でもなく、普通に起き上がろうとしたときに腰が痛くなってしまったのだ。たぶんギックリ腰だ。そんなに酷くはなく、変な格好をすると痛みを感じる、ある特定の格好をすると腰の力が急に抜け、体勢が崩れてしまう、所謂腰砕けになる、そんな感じだ。別に日常生活に支障をきたすほどではなかった。

 とはいえ、クライミングは自粛しようと、それから何日かはクライミングを休むことにした。その間、半日冷蔵庫内の仕事をしたり、1時間とか2時間とか位の自動車の運転をしたりして、その時はやはり腰の調子は良くはなく、いくらか鈍い痛みを感じたりはしたが、それらの行為を続行できないほどではなかった。まぁ、仕事もいくらか忙しかったこともあって、クライミングはやらなかった。

 そんなこんなで、結局3週間程クライミングを休んでいたら、時々あった刺すような痛みもなくなり、鈍い痛みも減ってきたので、久しぶりにクライミングに行ってみた。たまたまコンペによるホールド替えがあったりしたため、力がどれくらい落ちたのかははっきりとは体感できなかったが、ドッ被りが登れないということはなかった。しかし、すぐに疲れてしまった。少し混んでいたから、結構トライ間隔は長かった筈なのにだ。

 そろそろ小生の云回目の誕生日が来る。そうすると、小生も云才になる。昔なら、「いい歳こいてボルダリングなどやってちゃいけないよ」と人に言われる歳だ。豊田で何回となく、色々とお世話になった先輩は、「やっぱり今までのようには登れなくなった」とおっしゃっておられたし。

 「わが子よりも若い人達と一緒になって、夜遅くまで遊んでいてはいけない。」「そんな歳になっているのかも知れない。」最近はそんなことを本気で考えるようになってしまった。

やっぱりここの所疲れすぎだったのだろうか

 指の痛みについて先に書いたが、ついに割り箸が割れない位になってしまったので、ここの所約1月ほどクライミングを休んでいた。で、完全に痛みが引いたわけではなかったが、あまり休んでもと、先日久しぶりにジムに行ってみた。今までの経験だと、1ヶ月も休むと、ドッ被りが登れなくなるのだが、これが意外と登れてしまった。背筋がそれほど落ちてはいなかったようだ。

 薄被りの長物をやってみた。どちらかというと、ぎりぎりグレードの課題だ。ところが何と、今迄で一番楽に回れてしまった。途中、長物だし、1ヶ月ぶりだから、ホールドを見失い、ホールド探しを挟んででだ。今までなら、当然最後の2、3手手前で落ちていた筈だ。手が腫ってはいたが、パンパンではなかった。びっくりした。その後もドッ被りで、皆さんのセッションに混ぜてもらったが、特に弱ってしまっているという感覚はなかった。とはいえ、久しぶりだったので、少し早めに上がりはしたが。

 どういうことなのだろう。やっぱり、大分に疲れていたのだろうか。そして、どうして力が落ちなかったのだろうか。不思議だ。

 調子に乗って、翌日また別の場所でだが、ボルダリングをやってみた。上腕が痛くて、ぜんぜんだめだった。

 これからは、人工壁は週1、外岩を含めてもせいぜい週2にしようか。

焚火のこと

 キャンプの時などに行われている焚火について、以前から小生の持っていた疑問が最近何となく分かりかけてきたので、その辺のことを書いて見る。何しろ、最近は殆ど外にも行かず、指の痛みを理由にジムもご無沙汰なので、こんなことでも書いて見るかというところである。

 普通、野外で焚火をする時、殆どの人達は石で竈(カマド)様の物を作る。竈は作らないにしても、木を組み、大きい焚火をする。しかし、小生が教わってきた焚火は石組みの竈は使わない。また、そんなに大きな焚火では始めない。最初は極小さな焚火から始める。そして、必要に応じてその焚火を大きくしてゆく。その必要がなければ、最初に起こした焚火の規模を維持する。

 なぜ、小生のような焚火のやり方をする人達が殆どいないのか、いや、小生が教わった人達の仲間以外でその方法で火を起こした人を見たことがないのか。唯一ボルダリングの仲間にその方法の焚火をやる人を知っているだけなのか。ということを疑問に思っていた。

 我々が野外で焚火をする時、何のために焚火をするかと言うと、殆どの人達は焚火のための焚火である。所謂キャンプファイヤーだ。だから最初から大きな焚火をする。と言うことなのかもしれない。とすれば、何となく分かる。しかし、飯盒で炊事をする場面でも、或いは、バーベキューパーティーでも殆どの人達は竈を作る。かえって、この炊事用の焚火では竈が必至という感じである。そこが分からなかったのだ。

 小生の焚火の目的は炊事用ということで、その方法を教わった。実際、沢の中での炊事は殆どが焚火だった。冬山でも森林限界内では焚火で炊事することも多かった。そして、そのときの焚火は決まって我々風の小さな焚火だった。

 一体、焚火で炊事をするには、大きな焚火では炊事はできない。大きな火で炊事をするにはそれなりの道具が要る。その道具がないときには、石などを使って竈を作る。そして、その竈の中で小さな焚火をする。と言う発想が一般的かもしれない。しかし、我々の方法では竈は作らず、薪の上に直接鍋や釜を置く。その為に竈を使わずに小さな焚火を起こす。ただそれだけの違いかと思っていたのだが、最近、ある雑誌の知床でカヌーガイドをしておられる方の記事を読んで何となくその疑問が氷解し始めた。

 その人が言うには、縄文時代の日本人(こんな言い方があるかどうかは知らないが)は竈は使わなかったというのだ。その理由として、日本は湿度が高い。従って、石の竈では熱が石に奪われ、湿った薪で火を起こすのは難しいので、石は使わず、薪を平行に束ねて熱を囲い込むのだ、ということらしい。その方法は将に我々の火越しの方法である。風邪が通る方向に平行に薪を束ね、種火をその薪で囲い込むと言う方法である。薪は平行で風の通る方法だから、風は通る。無理に風を送ることもやらなくとも良い。

 それに反して、石を置きその中で火を燃やす竈方式は、乾燥地帯での焚火の方法らしい。雨の多い亜熱帯モンスーン地帯から照葉樹林帯地域で、石そのものが熱を奪う竈方式では濡れた木は燃えにくいので、竈は使わないらしいのだ。このことは、亜熱帯モンスーン地帯(照葉樹林文化圏)とその西の地中海文化圏との境で焚火の方法も竈を使うか使わないかが変わるらしいのだ。

 やっぱり、日本での焚火には竈は似合わなかったのだ。やはり、沢の中で、濡れた木片で火を起こすには竈では駄目だったのだ。やはり、縄文時代から連綿と続く由緒正しい焚火の方法は小生の教わった方法に近かったのだ。

 ということで、焚火が起こるまでに時間がかかるだとか、焚火が小さすぎるだとか、色々と悪口を言われてきたが、これからは小生の方法を堂々とやることにしよう。

指がー

 痛い。指が痛いのは何時ものことなのだが、今回は何時もとはいささか違う。痛みが結構強いのだ。

 何時もは、静かにしている時に指の痛みを感じるのだが、クライミングを始めてしまうと指の痛さを感じることは殆ど無い。そんな状態はクライミングを始めて暫くしてから今までずっと続いている症状だ。しかし、この症状は、若い頃にやっていたスポーツで経験済なので、特に問題にはしていなかった。

 ところが、ここの所その症状が少し違ってきたのだ。その指の痛さが以前よりは大分痛さを感じるようになり、クライミング中も痛さを感じるようになってしまったのだ。つまりは、症状が悪化してきたということだ。あまりに痛いから、ここ1週間ほどクライミングを休んでしまっている。でも、症状はあまり軽減はしていない。

 考えるに、ここ1年ほど前から、それまでよりはクライミングの強度は落ちた。そして、2~3ヶ月前頃には週1のクライミングも危うい状態になってしまった。そのため、瑞牆小川山遠征をきっかけに、ここの所少しだけクライミングの強度を上げてきたのである。週2から時には週3のジムでのボルダリングをやるようになった。若しかすると、この週3のジム通いがいけなかったのかも知れない。

 実は、ここ1年ほど前から、指皮の消耗の激しさが目立つようになってきた。それまでは、外岩では指皮を無くすことは多々あったが、ジムの人工壁ではあまりなかった。それが、最近では、ジムでも指の皮が持っていかれるようになってしまったのだ。ということは、やっぱり、それだけ自分の体が対応しなくなってきていると言うことなのだろうか。そこへ持ってきて、クライミングの強度を強めたものだから、遂に指が壊れだしたのだろうか。どうやらそんな気がする。

 やっぱり、程ほどにしなければと言うことのようだ。

こんなことやってきました

最近、全然岩を登っていないので、つい、こんなことをやってしまった。


ファイル 31-1.jpg
 左奥に見える灯台は、千葉の野島崎灯台である。つまり、場所は千葉白浜の野島崎だ。当然、観光地真っ只中だ。

ファイル 31-2.jpg
 団体旅行だったので、時間も無く、こんな格好のままだったのだが、まぁ、何とか無理やりにでも登ることは出来た。

 ところで、同じ南房総白浜の海岸の岩でも、根本付近とこの野島崎付近では、何となく岩質が違う。根本付近は完全に白目の泥岩(ドロイワ)チックな岩なのに対し、砂取港付近や野島崎付近になると、砂に小さな砂利の混じった感じの、黒目の岩になる。根本付近の岩よりは、本の幾らかだが、硬い感じがする。硬いといっても、岩とは言いにくい硬さではあるのだが。

 これが、鴨川方面に行くと、結構固めの泥岩となり、鴨川松島では玄武岩が出ている。そして、鴨川漁港では凝灰岩となるようだ。いずれにしても、岩というにはちと抵抗を感ぜざるを得ないことは確かなのだが。

 この小旅行の最中に、千葉の海岸の写真集を見つけてしまった。写真の大半は、千葉の海岸の岩壁である。一瞬、千葉にもこんなに多くの岩壁があるのかと、目を疑ってしまったのだった。2005年の出版だったから、多分探せば今でも手に入るのだろう。しかし、あまり聞きなれない出版社だったので、出版社の名前も、失礼だが、著者の名前も失念してしまったので、ここでお知らせすることは出来ないし、手に入るかどうかは定かではない。まっ、そのうちどっかでまた探して見ることにしよう。