小川山その22その2

2008年 8月24日記

通算で5日目 小川山の2日目である

 相変わらず、朝は6時には起き出した。暫くして、4歳の息子も起き出したので、ここの所恒例となった朝の散歩に出かけた。

 駐車場の端から始まっているカモシカ遊歩道に行ってみた。今まで歩いたことがなかったのだ。

 その遊歩道の入り口は木の桟で作った立派な広い木道になっている。しかし入り口には、このコースは上級者のみのコースだ見たいなことが書かれた看板が建っている。大げさだなと思いながら、その木道で小さな沢を渡ると、平らな笹原の中を歩く細い道になった。

 その先で大きく曲がると、ちょっとした岩が出始めた。傾斜も増してきた。さらに進むと、普通の登山道になってきた。そして、段々岩っぽくなってきた。やっぱり、入り口の看板はこういうことだったのか。少し納得しながら先に進むと、益々道は険しくなってきた。

 岩場をトラバースしたり、痩せ尾根を渡ったり、4歳の息子を連れて歩く道ではなくなってきた。上級者コースは大袈裟ではなかった。とは思ったものの、歩き始めてしまっているし、引き返すタイミングもつかめなかったし、何より同行者が文句を言わないので、そのまま進んでいった。

 丸太の梯子が出てきた。それまでは、険しい道ではあったが、いつものサンダルではなく、ちゃんとした靴も履いていたので、いざとなれば子供を背負えば何とか戻れる自信もあったので、進んできたのだが、丸太の梯子では、4歳の息子を背負って降りる自信は、正直なかった。一瞬迷ったが、ハシゴの高さが、3m足らずだったし、ここまで来たのだからと、先に進んでしまった。

 梯子の上からの道には、手摺というか柵というか、そんなものが道の崖側に作られていた。そんな道を少し進むと尾根上のちょっとしたピークに建てられた東屋に出た。そこは、屋根岩の岩峰を間近に眺めることができる、ちょっとした展望台になっていた。

 こんな道をどんどん進んで行っても良いものか、少し迷いながら進んでいたものだから、これ幸いと、4歳の息子と相棒をそこで休ませ、その先を偵察して見た。少しガレた尾根から急な岩峰のトラバースに入り、より傾斜の急な斜面に入ってゆく道だった。その先もそんな状態が暫く続くように見えた。これは無理だ。今の東屋で、一応の展望も得られたし、引き返すには格好の場所だと、やっと撤退を決断し、相棒達のもとに戻った。

 その東屋には、下の斜面からその東屋に登るための、傾斜はずっと緩かったし、高さも低かったが、先に登った様な丸太の梯子が架けられていた。これは梯子を下る予行演習に持って来いと考え、4歳の息子に、その階段を後ろ向きで下らせて見た。最初は戸惑っていた息子だが、下から足の置き方などを教えると、何とか一人で降りてきた。そのまま、来た道を下っていった。

 丸太の梯子に差し掛かった。先に練習させたようにその梯子を下らせたら、4歳の息子は、思った以上にしっかりと降りてきた。先ずは一安心だった。

 カモシカ遊歩道をちょっと甘く見すぎていたようだ。遭難て、多分こんなことから起こるのだろう。大いに反省した。

 テントに戻ると、テントのすぐ脇のボルダーを触っている人達がいたので、小生も、真中辺のリップ下のガバで登る所を、サンダルで登ってみた。まだ少し濡れてはいたが、登る事が出来た。

 その左横では子供達が遊んでおり、裏からその岩の上に登ったらしい4歳の息子が、その子供達の遊んでいる所を下り始めた。そこは、どう見ても、4歳児の下れる場所ではなかったので、4歳の息子を抑えようと手を伸ばしたのだが、高さが少しあり、息子を抑えることができなかった。息子にそこから動くなと言い聞かせ、急いで岩の上に登ろうと岩の裏に回っていった。すると間もなく、4歳の息子の鳴き声が聞こえてきた。息子は岩から落ちてしまったようだ。

 表に回り、息子を確認すると、幸いにも怪我などは無さそうだった。ちゃんと歩くこともできた。しかし、なかなか泣き止まず、その後もテントの中の相棒の下で、暫く泣いていた。

 朝食の後、テント脇のボルダーをまた触ってみた。

 真中はさっき登ったので、その右側のところを登てみた。登れなかった。続けて、2回、3回と挑戦してみた。しかし、サンダルでは無理だった。で、結局本気になってしまって、靴を履いてしまった。グレードを確認したら、9級だった。

 靴を履いてしまったので、その岩の一番難しい、右から少しトラバースし、真中を登る課題をやることにした。右のカンテ付近にアンダー気味のガバホールドがある。そこからスタートし、真中辺のアンダーガバに移り、そのまま左上して中央の10級の課題に繋げるという課題だ。因みにグレードは5級だとか。

 スタートがアンダーだから、少し力が要る。次もアンダーだから、最初はできなかった。足をさがし、チョークでマークアップし、何とか次のアンダーを取るも、そこにマッチができなかった。

 またまた足を捜し、今度は、アンダーホールドの先のガバフレークの下部のサイドカチを先に取り、何とか右足を寄せ、右手をアンダーガバに送るというムーブを考え出し、やってみた。なんとか次のアンダーに移ることはできた。続いて、左足を少し左に送って斜め左上の数cmの丸いボッチリみたいなホールドを取った。しかし、その次の左上の斜めのホールドが取れなかった。

 足をもうひとつ左に送らなければと、足を確認して 見たら、すぐ左にスタンスがあった。先に確認しておきながらすっかり忘れてしまったようだ。

 少し休んで、またやってみた。丸いぼっちりで左足を送ったら、体が正対気味になって、左斜め上の斜めのホールドがクロスで取れ、足を上げることができた。足が上がればリップが取れた。

 5級だと言うのにものすごくてこずってしまった。雨上がりで少し湿っていただろう岩だったから、幾らか登り辛くはあったのかもしれないが、大人げもなく本気になってしまって登ったものだから、岩の上で少し叫んでしまった。

 上でテントを張っていたボルダラーがマットを背負って降りてきて、偉い騒いでいたが登れたかと聞くから、まあ何とかと答えた後、どこに行くのかと聞いたら、ビクターだというから、我々もビクターに行くと言ったら、早くきてくれと言ってくれた。

 ビクターに行くと、沢側に3人程の人がいて、サブウェイをやっていた。

 傍らに荷物を置き、しばらく眺めていた。

 裏に行って見たら、先程声をかけてくれた2人組のボルダラーがいた。アップだったのか、右のほうの易しいところを登っていた。

 荷物のところに戻って、サブウェイを触らせてもらったら、スタート直後の少し遠目のサイドカチが取れなかった。

 大分休んで、またやったら、今度はそこは突破できたが、その先の遠いホールドを取りに行く態勢になれなかった。でも、以前のこの時期の状態とそれほど変わらないことが確認できた。

 先客は大阪の人達だった。それで、以前近畿方面を回った時のことをお話してしまった。

 その人達に、コンパウンドを紹介し、自分も行ってみた。相変わらず、左右細かいカチでは離陸ができなかった。

 裏には人数が増えていた。その中に、赤ん坊連れのご夫婦がおり、どこからか聞いてみると、岩手からと言うことだった。またまた、侍浜とか種差海岸などのお話をしてしまった。

 特に何をするでもなく人の登りを見ていたら、仕切りと某ボルダラーの話をする二人組みがいた。少し気になったが、特に話しかけることはしなかった。

 コンケープを登っている人がいて、マントルで落ちてきたから、そこはワンハンドで登る人もいますよと言ったら、その某ボルダラーの話をしていた内の一人が、ビデオで見たと言った。そして、しばらくして、ワンハンドで登ってしまった。

 岩手の人と話をしていたら、そのワンハンドで登った人が、○○さんですかと聞いてきた。そうだと答えたら、△△だと自己紹介をしてくれた。えっ。△△さんて、もしかして、瑞牆クライマー連絡会の△△さんですかと聞き返したら、息子ですといった。最初は少しうさん臭さを感じていた2人組だったのだが、それで全て納得した。そして、瑞牆の情報を少し交換した。このワンハンドの人、小生の瑞牆の紀行文の殆どを隅から隅まで読んでくれていたようだ。小生がちょこっと書いた部分を手がかりに、幾つかの課題を探し出してもいたようだ。そういう読み方をしている人がいたなんてちっとも知らなかった。瑞牆の開拓者からの情報が下地にあってのことだとは思うが、よくもまぁ、結構いい加減な情報で岩を探しに行ったものだと、その人の情熱に感心してしまった。

 その息子さんには以前母上と一緒に瑞牆で会った事が有ったのだが、てっきり一人と思っていたら、その時もお兄さんと二人だったようだ。

 コンケープを久しぶりに触ったら、斜めアンダーカチはいくらか持てたが、右足を上げ切ることはできずに落ちた。

 その後も、結局うだうだと色々な人と話をして、戯れにビクターを飛んで見たりしていたら、、雨がおちてきた。これはいけないと、荷物を取りにいったりして、荷物をまとめ、相棒と息子とともに、ビクターの裏の林の中を下った。どうやら裏の方にいた人達の何人かは、そのルートで来たらしいのだ。しかし、少し焦っていたのか、途中で踏み跡を外し、結局ビクターの岩の横の沢への降り口に戻ってしまった。仕方がないからそこから沢に降り、岩陰で雨宿りをしていた人達に声をかけてテントにいそいだ。幸い雨はそれほど強くは降らなかった。

 テントに入ると、雨が強く降り出した。撤退のタイミングは結構よかったようだ。

 テントの入り口を開けていたのだが、そこから結構雨が降り込んで来た。といって、閉めると暑い。ちょうど入り口に傘を立て掛けてあったので、それを2本広げて入り口に置いてみた。幸い風は無かったので、結構快適な環境になった。

 トイレに行ったついでに金峰山荘に行って風呂の時間と値段をきいてきた。時間は6時半受付終了で7時まで、値段は400円だった。子供の値段を聞いたら、一瞬考えて、300円といった。

 テントではすることがないから、小川山のトポを見ていたら、4歳の息子が「石の絵本」と言った。確かに、言われてみればそのようにも見える。その息子が、落ちた岩はどれかと聞くから、トポを渡し、これだと教えてあげた。すると、別の岩を指して、今度はこの岩に行きたいとか言いながら、暫くそのトポを眺めていた。

 その後、一時昼寝をしたりしていたら、5時近くになってしまったので、皆で御風呂にいった。料金は2人で800円だった。息子の料金は取られなかったのだ。

 風呂場には、最初はだれもいなかったが、その後に二人の人がきた。一人の人にクライミングかと聞いたらそうだというから、ルートかと聞いたら、パートナーがいればルートに行くし、いなければボルダーをやると言っていた。

 夕食の後、雨も上っていたので、息子がやりたいと言っていた花火をした。しかし、キャンプ場の花火は禁止のところが多いし、静かな中でのにぎやかな花火に少し抵抗があったので、2本か3本だけといった。すると、どういう訳か息子が1本だけでよいといい、線香花火をするというので、線香花火を一つだけやった。結構長くかわいらしい火花を発していた。

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作成年月日 平成20年 8月24日
作 成 者 本庄 章