縫道石山と仏ケ浦のボルダーに行って見ました

2006年 6月 3日記

 よこはま道の駅で5時ころ目が覚めた。雨は上がっていた。

 太陽が出ており、天気がよかったので、昨夜濡らした傘を乾かした。

 7時過ぎに、縫道石山を目指して出発した。

 この横浜町だが、つい最近、あるテレビ番組で、ホタテの貝殻のタワーを建てた町だったように記憶をしている。でもその時は、町のどこにもそんな情報は無かったし、そのタワーの建てられたらしい、旧何とか小学校だか中学校だかが分からなかったから、寄って見ることはしなかった。

 むつから大湊を通り、川内ダムに向かった。途中、むつの手前あたりから見える山の山肌が真っ白であった。

 やっぱり。実は、ここに来る前から、縫い道石山はもしかすると雪が残っているかもしれないと、少し危惧はしていたのだが、なんだかその心配が現実になりそうだった。

 川内ダムのほとりのかわうち道の駅に9時前に到着した。最初の計画の宿泊場所である。意外とこじんまりした道の駅であった。

 時間的にまだ売店等は開いてはいなかった。しかし、トイレ掃除をしてくれていたお兄さんがいたので、縫道石山の雪の状態を聞いてみた。やっぱり、今年は雪の消えるのが遅く、多分雪が残っているだろうとの事だった。まぁいいや、行くだけ行こう。

 インターネットで落としてきた案内文の通り、縫道石山への林道の案内板が見つかった。意外と目立たない小さな林道であり、意外と目立たない案内板であった。

 危うく通り過ぎるところを、やっと停り、舗装されていないその道に入って行った。しかし、その林道の入り口には、「通行止」とかかれた看板のある車止めが置かれていた。やっぱり。

 でも、その車止めは道の2/3位を塞いでいるだけで、なんとか自動車が1台位が通れそうな幅で開いていた。回りにはもちろん雪はなかった。その先はしばらく平らそうだし、先に進むことはできそうに見えた。折角だから、行けるところまで行って見るか。そのままその車止めを越え、先に進んでみた。

 しばらく川沿いの林の中を走り、段々高度が上がってきた。

 空が少し開けてくると、道の拡幅工事をやっているらしい場所に出てきた。工事用のトラックが一台停っていたので、また、縫道石山の事を聞いてみた。

 登山道の入り口までは特に問題なく行けるとの事だった。その先、国道に抜けられるかとも聞いて見たら、登山道入り口からは舗装路だから大丈夫だとの事だった。但し、山に入るのだったら熊には気を付けろとも言われた。

 言われた通り、舗装路になる辺りに縫道石山の登山口の駐車場が現れた。

 駐車場といっても、舗装のされていない、道路脇のただの広場なのだが、その駐車場の端っこにはまだ雪が残っていた。

 登山道及び登山道の脇の笹原には雪はなかった。行けるところまで行って見よう。

 貸出用の熊避けの鈴が収められている戸棚を開けて見たら、鈴は一つもなかった。えっ。一瞬固まってしまったが、無いものは仕方が無い。まだ登山のシーズンではないからなのだと諦め、持参していた携帯ラジオを取り出し、持参することにした。

 持参した長靴を履き、ラジオを鳴らしながら、少しだけ怖がっていた相棒と二人で歩きだした。

 それほどきつい道ではない。落ち葉が積もっていたりするから、時々道を外す事もあったが、結構しっかりと踏まれた道であった。

 地図上では沢沿いを歩くようになっているのだが、実際は歩き出してまもなく、沢沿いを進むやや広い道から外れ、尾根上を歩く道になる。その道をしばらく歩くと、林の合間に縫道石山の岸壁が見え出した。

 道が少し下りになり、沢を渡る辺りで少し道が分かりにくくなったが、なだらかな斜面を登って行くと、別方向からくるみちと交わった。その辺りは少し平らになっているはずなのだが、実際は、そのまま斜面をトラバースする道になった。多分その先からは少し急な道になるのだろう。

 その間、時々出てくる雪の上には比較的新しい足跡が残っていた。つい最近誰かが登ってきたのだろう。ここまでもその足跡をたどり、比較的楽にやってくることができた。多分この先もその足跡が頼りになるだろう。

 少し歩くと、T字で上に登って行く道が別れている。山頂へは、その道を行くように案内板が示していた。

 道は少し急になり、倒木も増えてきたので、大分に歩き辛くなってきた。おまけに、踏み跡も分岐が多くなってきた。どれが本来の登山道かが分かり辛くなってきた。頼りの足跡も見付憎くなってきた。

 登山道の脇に岩が現れ出した。結構大きな、ボルダーチックな岩だ。登山道からわずかに外れているから、見に行くことはせずに、先に進んで行った。

 ますます倒木がふえだし、雪も多くなってきた。斜面の傾斜も増えてきた。さぁ、どの道だろう。迷うこともふえてきた。で、ついに行き詰まった。

 2つ3つの経路を探って見たが、雪の上にあるだろう頼みの足跡も見えなくなってしまった。一歩雪の上に踏み出した足が、雪に埋まり、長靴の中に雪が入ってくるようにもなってきた。それまではまばらだった雪田も斜面の大半を覆うようにもなってきた。もうこの先は諦めた方が良さそうだ。そう判断し、そこから引き返すことにした。多分1時間くらい歩いたところ辺りだった。

 帰り道、折角ここまでやって来たのだからと、来る時に気になったボルダーを探して見た。

 登りにははっきりと見えた筈の、格好の良さそうなボルダーが下りながら探して見ると、意外と見つからないものであった。確かこの辺だったと思われる場所を少しうろちょろ捜し回ってしまった。

 やっと、最初に見た岩かどうかは定かではないが、それらしい岩が現れた。まぁいいや。

 昨夜の雨もあるからか、下地は濡れていた。岩も苔が多かった。条件としては決してよくは無い。でも、そんなにボロボロでも無さそうな岩だった。ここまで来たのだから登るしかない。一応は縫道石山の岩だ。って、一体なにしにきたんだか。

 最初に目に付いた、傾斜は無いがいくらか高いスラブ壁を触って見た。

 2/3の面には苔が生えていた。おまけになんとなく濡れている感じもした。でも、ガバはあった。ちょっと登ればしっかりともてそうなカンテだ。そのカンテで一番高いところまで行こう。

 意を決し、取り付いて見た。傾斜は無いし、途中からはカンテのガバだから、思ったほどはおもしろくは無かった。今度はもう少しボルダーチックなところを登ろう。

 その岩のスラブ面の右側に回り込んだら、そこそこおもしろそうな傾斜の壁になっていた。

 先に使ったカンテの右側だが、壁の傾斜があるし、カンテの角度も立っているから、さっきよりは少しはおもしろいだろう。

 足が悪かった。一応は苔のないスタンスを選んだのだが、濡れていたのだ。でも、まぁ、エイ、ヤーで、なんとか登ることができた。使うスタンスを決めるのに何回かかかってしまったが。

 近くに大きめの、垂直に近い壁をもった岩があったので行ってみた。

 確かに壁は立ってはいたが、垂直ではなかった。高さも2m位か。でも、いいや。一応いきなりリップは持たずにSDチックに登ってしまった。

 なんとなく丸っこいカンテを持った岩があったので、登って見た。はっきりとしたガバが無かったし、相変わらず濡れ気味だから、結構苦労したような気がするのだが。

 なんだか物足りなかったので、少し離れた岩も探して見た。

 高そうな、大きそうな岩が見つかった。行って見たら、確かに高かった。3mはあった。しかし、傾斜がなかった。ガバばっかりだった。でも、折角だから、登ってしまった。

 その付近の岩は多分そんなところだろう。これから仏ケ浦も待っている。仏ケ浦に期待しなければ。

 下る途中、いくつかの岩があることはあったが、いずれも登る対象とは考えにくかった。色々な意味で。

 駐車場には12時ちょっと前に帰り着いた。

 快適な舗装路を走っていたら、急に縫い道石山の岸壁が見え出した。ちょっと遠いが、途中遮るものは無い。道路の真ん中に自動車を停め、写真を撮ってしまった。

 福浦から国道338号を仏ケ浦方面に向かうと、再び道は山道になってきた。海岸沿いの道だと思ったのに、山の中に入って行った。お陰で、峠を越えるまで縫道石山の岸壁をしばらく拝むことができた。

 峠を越えてもしばらく山肌の高い場所をトラバースして行く。海ははるかに下という感じだ。

 仏ケ浦の手前の岬の先のような場所に展望所があったので、寄ってみた。結構風が強かった。確か強風警報が出ていたはずだ。やっぱり。その駐車場所にいた自動車はほとんどが県外だった。関東の自動車も何台かいた。やっぱりゴールデンウイークだ。

 仏ケ浦の駐車場は結構広い駐車場だった。その駐車場は、国道から少し入ったところにあるのだが、それでも海よりは大分高いところにある。そのため、その駐車場からは少し歩かなければ海辺までは行けないらしい。その駐車場に自動車を停め、なだらかな林の中の道を歩いて行った。

 カタクリの咲く道を少し歩くと、その先は木で組まれた長い階段が浜迄続いていた。

 海岸に近付くと、石灰岩らしい岩塔が見え出した。なんだかザラザラしている感じだ。なんとなくもろそうにも見えた。

 浜に降り立つと、回りには結構高い岩塔が乱立していた。写真の通りだった。しかし、相変わらず風は強い。船着き場は波で洗われていた。

 岩塔の間を抜け、多分観光客はいないだろう右側の浜に行ってみると、少し先の浜辺に2つのボルダーが見えた。観光客も見えなかった。最初はあれか。トイレらしい建物の下の少し歩きにくい漂着物の散乱した所を抜け、強風に吹かれながら砂浜をゆっくりと歩いていった。

 高さは3m位い有りそうだが、やはり脆そうだった。触って見たら、脆かった。

 脆くとも登る。何しろ、わざわざ本州の最北まで来ているのだから。それもボルダリングをしに。って、本当は単なる物好きなだけだが。

 案の定最初に持った出っ張り様のホールドはもげた。次に足を掛けた突起様のスタンスは欠けた。突起やちょっとした出っ張りは欠けるから、スローパーや大きなホールドでなければだめなようだ。

 気を取り直して、慎重にホールド、スタンスを選んでみた。で、やっと登った。岩はガサガサしていたから、手が痛かった。なんか沖縄の琉球石灰岩を思い出してしまった。

 その横の半分海に張り出した岩を見に行ってみた。こっちの高さは4mはある。波に洗われて、少しはしっかりした部分が残っているかも。しかし、期待は裏切られ、最後の乗っこしで諦めざるを得なかった。

 次は、その岩の本当に波に洗われている面を見に行ってみた。今度は岩が濡れており、登る勇気が出なかった。

 再び舟着き場方面に戻り、観光客に交じって、その付近の岩を探して見た。

 少し奥の、立派な岩塔の前に高さが4m近い岩が見えた。次はあれだ。

 行って見たら、ガバガバだった。でも、少しは格好よかったから、観光客の目も気にする事なく、運動靴で登ってしまった。

 降りる時に、その岩の裏に回ったら、裏は結構大きなハングになっていた。これはやらなければと、そこをマントルしてしまった。

 その岩の脇の岩塔の壁を見ると、結構滑らかに見えるほぼ垂直の壁に、適当なポケットが散らばっていた。今までの岩に比べると、なんとなくしっかりしているようにも見えた。これはひとつ触っておかなければ。

 わざわざ靴を履き替え、チョークバックもぶら下げて、取り付いて見た。ポケットが少しは遠いこともあって、目標としたポケットまでは2回か3回かかってしまったが、なんとかそのポケットを取ることができた。しかし、そのポケットの縁はすごく痛かったので、より高みを目指すことはしなかった。

 その先の岩礁地帯に行きたかったのだが、風が強く、大きな波飛沫を上げていたし、おまけに潮まで上げて来た様子だったので、そこから引き返すことにした。

 降りてくる時は結構長く感じた階段も、帰りは意外と短く感じてしまった。普通は反対なのだろが。帰り道で、カタクリがあまりにも可愛らしかったので、思わず写真を何枚か撮ってしまった。駐車場に戻ると、まだ2時を少し回った所だった。

 本日の目的は一応終わった。さぁこれからどうしようか。相棒に聞いたら、やっぱり恐山だと言った。

 そのまま海岸沿いを帰る予定だったのだが、338号線が途中で通行止めになっていたので、来た道を戻ることになった。

 来る時に寄った「かわうち湖」道の駅に寄って見ると、食堂のメニューに、「けいらん」という食べ物があった。ソフトクリームでも食べようと寄って見たのだが、なんだか面白そうだったので、その「けいらん」を頼んで見た。

 アンコの入ったお餅を冷たいダシ汁で食べる食べ物らしい。運んで呉れた小母さんが火傷をしないようにと注意をしてくれた。

 お椀を持っても冷たいものをどおしてと、一瞬変な感じになったが、お餅にかじりついてその意味を実感した。お餅の中のあんこがものすごく熱かったのだ。注意をされていなかったら、本当に火傷していたかもしれない。冷たいダシ汁に熱いアンコ餅、なんとも奇妙な取り合わせだが、それはそれで美味しかった。

 大湊まで戻り、そこからは案内標識に従って恐山を目指した。

 恐山て、イタコのイメージが強く、賽の河原的な風景しか浮かんでこない。即ち、ものすごい広いイメージだ。自動車を降りてから大分歩かなければならないのだろうか。でも、むつ方面から眺めた山は雪だった。テレビのニュースだったかでも、恐山への道はつい先日開通したと言っていた気もする。もうすぐ4時だが大丈夫なのだろうか。

 結構きつい坂道を登って行くと、道の両脇にだんだん雪が現れて来た。なおも進むと、道は平らになり、小さな湖が現れた。風が強いから、湖には白い波が立っていた。回りに雪はなくなっていた。

 ほどなく行き止まりとなり、大きな駐車場が現れた。そこが恐山らしい。

 自動車はそれほど停ってはいない。でも、岡山だとか、愛知だとか、ある意味とんでもない所の自動車が停っていた。

 そこはお寺の駐車場だった。相棒は以前ここに来たことがあり、その相棒が別に何も言ず、先に歩いて行くから、くっついて行ったら、お寺の拝観料を払う所だった。

 相棒が、温泉があるからというので、タオルを持って来たのだが、お寺の境内に温泉があるのだろうか。あったとして、その温泉に入ることができるのだろうか、心配になったので、相棒にそのことを確かめさせたら、境内に温泉があるとのことだった。

 なんだか普通のお寺だった。ここが恐山なのだろうか。相棒について進んで行くと、本堂らしい建物の手前に工事現場の飯場の様な建物になんとか湯との看板があった。半信半疑で行って見たら、温泉小屋だった。

 温泉は帰りに寄ることにして、本堂の脇を先に進むと、湖の辺に向かって、真っ白なだだっ広い場所が出て来た。硫黄の匂いがする、いわゆる温泉場のなんとか地獄様の所であった。これが賽の河原なのか。

 まぁ、それほど広くはないから、看板に従って一回りして来た。でも、イタコはどこにいるのだろうか。

 風が強く、寒くもあったので、早速温泉に入ることにした。

 女湯は本堂に向かって左に2棟、男湯は右側に1棟である。小生は当然男湯の方に入った。

 脱衣所からすぐに湯船になっている。湯船は二槽あって、その回りが洗い場というか、板の間になっている。当然水道の蛇口等はまったくない。多分体を洗う人等いないのだろう。因に、管理人等は居らず、当然無料であった。

 小生が入ると先客が出て行ったので、小生は一人でのんびりと湯船に浸ることとなった。

 湯船に浸かる以外何もすることがないし、あまり早く出ても寒い中相棒を待たなければならないだろうからと、温泉で頭を洗ってしまった。

 外に出ると、やはり相棒はまだだったので、山門の陰で風を避けながら少し相棒を待っていた。

 なんだか拝観料が入浴料見たいな感じだったし、イタコの疑問は解けなかったが、結構楽しい観光となった。

 むつの町で食堂を探したのだが、旧道を走ったせいか、これと言った場所が現れなかったので、ちょうど出て来たスーパーに寄って見た。お弁当でもと探して見たが、あまり安くはなかったし、気に入ったものもなかったので、何も買わずに出て来てしまった。

 そのスーパーの先で国道のバイパスが交差していたので、そのバイパスを走って見た。すると、すぐに駐車場のある食堂が現れたので、そこに入ることにした。

 ほとんどが座敷の普通の食堂だったが、味噌貝焼き定食というのがあったので、少し高かったが、それを頼んで見た。

 味噌貝焼きを運んできてくれた店の人が、貝焼きの食べ方を教えてくれながら、いろいろと話をし始めた。

 どうしてこの店に来たかと聞かれたから、ちょっと詰まりながら、何でと思いながら、バイパスを走っていたら見つかったと答えた。その後は、どこからでどこに行ったかとか、いろいろな話をしてくれた。そして、この店がどこかの雑誌に載ったので、その雑誌を見てくる客が増えただとか、その方は、釧路から来られたから、下北の方言が上手くないのだともいっていた。それで、最初にどうしてきたかを聞いたのか、また、メニューの中に鹿肉の刺身などがあったのか、などの疑問が氷解したのだった。と、まぁ、たまにはそんな夕食も楽しいものだ。

 この味噌貝焼きだが、ホタテの貝殻を鍋代わりに使って、ホタテの味噌焼きを作るという、青森の一般家庭では必ずやるという、郷土料理であった。以前から青森の一般家庭には必ずホタテの貝殻があるということは聞いてはいたのだが、その貝焼きを食べるのは初めてだった。なんだかだで、結局その店を出たのは8時近くになっていた。

 明日以降の予定で定まっている物は4日の仙台の人達との待ち合わせ以外にはない。それまで、予定は特にはないのである。明日、明後日は、余ってしまった感じなのである。まぁ観光でもするかという事なのだが、その観光のあてが全くない。従って、今夜の泊まり場所の予定もない。と言って、また昨夜の「よこはま」もいやだと相棒が言うから、どうするか少し迷ったが、まぁ、適当に行けるところまで行こうと出発した。

 結局は、9時頃に三沢まで行ったので、そのまま「みさわ」道の駅で泊まることとなった。


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作成年月日 平成18年 6月 3日
作 成 者 本庄 章