御岳ボルダーその69

2008年12月 9日記

 日曜日の日に相棒と二人で御岳に行った。相棒と出掛けるのも久し振である。

 前日の夜、夜中に出掛けるかということになったのだが、相棒がどこかの店に忘れ物をしたとかで、日曜日の朝、問い合わせるとの事で、翌朝出発となった。

 翌朝、店は9時からだから、出発は10時頃かなとか言いながら、テレビを見ていたら、10時を過ぎた。そのままうだうだしていたら、テレビ画面に山の風景が映った。そして、相棒が○○さんだと叫んだ。その方、確か千葉におられる女性の登山家だ。小生はお顔はあまり存じ上げないから、映像では分からなかったので、よく分かったねと、思わず言ってしまった。

 映像は、唐沢、穂高から白馬、唐松と移って行った。そうなるとテレビの前を動けなくなってしまった。不帰の剣とかの映像も出てきた。お恥ずかしながら、小生は北アルプスは穂高と剣しか行ったことがないのだ。従って、というか、ほとんどが見たことのなかった風景だった。

 で結局、いつものようにお昼の出発となってしまった。

 なんとなく、圏央道が気になっていたので、遅れ序でに、使える高速はみんな使って行くことにした。

 最初は東関道だ。この道、400円。ちょっと高いから、早朝深夜割り引きでたまに使うくらいだ。次は首都高。これはいつも使っている。日曜日だからか空いていた。続いて中央道。これもいつもお世話になっている。

 八王子に近づいた。いつもなら、第2出口だかで降りるのだが、今回はそのまま真っすぐに進み料金所のゲートをくぐった。

 相棒が、いくらだったかと聞くから、ETCを操作して、先程の料金を聞いた。その際、見えない場所のボタンを2カ所同時に押さなければらないので、少々手間取ってしまった。気付くと回りは既に山だった。手間取っている間、ほとんど案内板等は見ていなかったので、もしかして八王子ジャンクションを見落としたかと、一瞬不安になってしまった。しかし、料金所からジャンクションは確か10kmはあったはずと気を取り直し、尚も山間の道を走って行った。

 ジャンクションの案内板が現れた。やっと安心した。

 圏央道にはいると、トンネルが現れた。中央道を走りながら、こんな山の中を圏央道はどう走るのだろうかと少し心配していたのだが、やっぱりトンネルだった。トンネルを抜けると、まだ山の中だった。目の前にも山が迫っていた。またトンネルに入った。今度は短かった。で。またトンネルだった。そのトンネルは長かった。様な気がする。何しろ、トンネルがいっぱいあったのだ。

 やっと開けた場所に出た。そして、あきる野インターが出てきた。目的の日の出インターは次だ。

 普段は、この圏央道の側道を走って日の出町に向かっている。たしか圏央道は掘割を走っていたはずなのだが、相変わらずトンネルだ。しかし、天井は平らだ。掘抜いたというよりは掘って塞いだという感じだ。しばらく走ると、空が開けてきた。やっと堀割りに入った感じだ。すると、直ぐに日の出インターが出てきた。

 八王子日の出間は900円である。しかし、ETCを使うと、日曜日の昼間は700円になる。と、ネットで調べた時は、そんな風に書いてあった。気がする。しかし、実際は600円だった。どっかから続けて使うと割り引きがより増えるようだ。(後で調べて分かったのだが、昼間の3割引きは平日のみで、それとは別に、終日八王子より手前から乗って圏央道を使うと一律300円引きになるらしい。)

 一般道に降り、わずかに進むと、いつもの高速の側道に曲がる交差点に出た。後は梅ヶ谷峠を越えて吉野街道に入るだけである。

 2時ころ、寒山寺の駐車場に着いた。いつもの方法より約30分早かった。400円+600円=1000円増しで30分の差。これが高いかどうかはなんとも言えないが。

 駐車場はほぼ満杯だった。既に紅葉も終わっているだろうし、カヌーも、結構寒いだろうし。どうしてだろう。空いていればそこに停める積もりだったのだが。

 玉堂美術館の上の駐車場は、工事中だった。道路側一面に塀が作られ、全く使うことはできなかった。仕方がないから、発電所脇の駐車場に行った。

 発電所脇も混んでいた。でも何台か停める場所はあったので、そこに自動車を停めた。ここに停めたということは、やっぱりデッドエンドか。ということで、忍者返しを考えていたのだが、結局はデッドエンドに行った。

 発電所の先から遊歩道に入る場所が、2mから3m程ぬかるんでいた。道の端っこは結構傾斜していたので、そのぬかるんでいない端っこを注意しながら歩かざるを得なかった。こんなにぬかるんでいるのは初めてかもしれない。

 デッドエンドに行くと、10人くらいの人がいた。その中に、小生に声をかけてくれた人がいた。少し遠めだったので、顔がよく見えなかった。あいさつをしながら近づいて行ったら、顔は見えてきた。しかし、俄には思いだせなかった。誰だっけ。もう少し近づいて顔を見直したら、以前ジムで一緒に遊んでいた仲間だった。

 まず、イギリス人のトラバースの前に行ってみた。アップは大体その辺の壁を適当に触るのがいつものパターンなのだ。

 カンテから左側はマットが敷いてあり、女の人が登っていたので、カンテの右側の4級の課題のある面を触って見た。

 一体、その壁は、易しくはない。結構難しい。しかし、離陸できない。下地が下がってしまっているのだ。4級の課題のいつものスタートホールドに届かないのだ。無理に触りに行けば触れないことはないのだが、そうすると、体が伸び切ってるから足が上げられないのだ。その代り、イギリス人のトラバースはやり安くなったようだ。

 カンテの右側を少しごちょごちょ触って見たが、登ることは諦め、右端のカンテの3級の課題を触って見た。下地が2から30cm下がってしまっているから、以前やっと見つけたカンテのホールドが分からなかった。右足が全くスタンスに上がらなかった。

 先に登っていた女性が、カンテの左側のところをやっと登れた。そして、川側の凹角の10級の所を降りようとしていたから、裏のもっと易しい降り口を教えて上げた。

 カンテの左が空いた。下に敷かれていたマットも取り払われたので、そっちに移動した。そこの下地はそれほど下がってはいなかった様だ。

 右手カンテ、右足スメアで突っ張って離陸し、四角い大きな出っ張りのリップを取る。そこに両手を沿え、ごちょごちょやって、上に抜けた。やっと登れた。満足して、デッドエンドの前に戻った。

 若者に混じって、小生とあまり年頃の変わらない方が居られた。どこかでお会いしたことのある方に思えた。念のため確かめてみたら、やはり既にお会いしたことのある方だった。その方は、デッドエンド横断をやっていた。

 一先ず、デッドエンド左のスタートから上のポケットを取るところをやってみた。右手はスローパー、左手は斜めアンダーのカチだったか。離陸して、左手を目の前辺りの斜めアンダーカチに持っていって右手を出す。何回か成功したことのあるムーブなのだが、何年か前からできなくなってしまったムーブだ。久しぶりに試してみたら、やっぱりできなかった。壁に旨く入れないのだ。

 ジムの昔の仲間がデッドエンド直上をやっていたので、小生もやってみた。右手スローパー、左足ハイステップ気味に乗り込んで左手を出す。この時、今までは壁にくっつきすぎているから、上のポケットの位置を確認できなかったのだが、余裕で上のポケットの位置が確認できたのだ。二本の指を入れて、右に足を開いて、右のホールドを探りに行ったら落ちた。

 そんなことを何回か繰り返したら、だんだん上のポケットの確認ができなくなってきた。ポケットを取るだけのムーブなのだが、やはり疲れるようだ。

 またイギリス人のトラバースの方に行ってみた。で、そのトラバースをやってみた。下地が下がっているから、2手くらいはできた。でも、やっぱり疲れるからその先続かなかった。

 また、その右のカンテの3級をやってみた。無理やりだが、何とかカンテのスタンスに足は上がった。しかし、動けなかった。

 左側の少し下にスタンスになるところがあった。そこを左足で突っ張って離陸してみた。離陸は楽なのだが、次の手が出なかった。やっぱり正対でなければだめかと、真下辺りのスタンスで何とかホールドを探し離陸してみた。離陸はできるようになってきた。しかし、次のホールドには届かなかった。確か、もっと体を上げて、右手を出したはずなのだ。体が上がらないのだ。

 そこも諦め、またデッドエンドの前に戻った。

 ジムの昔の仲間は、上のポケットが取れた。しかし、その上で落ちた。もう少しだ。小生もまたデッドエンドをやることにした。

 何とかトーフックが係り、いつものスローパーの上のボッチリを左手で持ってその上の縦カチを右手で取った。その体勢で足を上げようとしたら、無理だった。ほかの人たちがやっていた、スローパーの上のボッチリを右手で持って、左手は少し下の斜めアンダーで左足を上げに行くムーブを真似しようと思ったのだが、右手の位置はやはりスローパーの上のボッチリ辺りでなければだめのようだった。

 その後、ジムの昔の仲間はデッドエンドを登った。小生は、またトーフックがかからなくなった。

 ものすごく寒かった。羽毛服を脱ぐと、すぐに寒くなってしまう。登る準備をしてグズグズしていると凍えてしまうのだ。鼻汁も出るし。

 4時半を回ると薄暗くなりだした。ほかの人たちもボツボツ帰り始めた。支度をし、昔のジムの仲間と歩き出したときは既に暗くなっていた。

 暗い中、あのぬかった道を歩くのがいやだったので、川原から釣堀方向に歩いていった。そこから中州に渡ろうとすると、仲間は、こっちのほうが近いと、吉野街道に登る道を登り始めた。そういわれればそうかと、昔の仲間に従った。

 吉野街道までは結構急な道だった。吉野街道はバスや自動車が結構走っており、歩道の無い方を歩いたので、結構歩きにくかった。

 普段、デッドエンドからの帰りは、上の遊歩道に上って発電所まで行くか、中州を渡って反対側の遊歩道を戻り、杣の小橋を渡って駐車場に戻っていた。あまり吉野街道で帰ったことは無かった。やっぱり反対側の遊歩道を使ったほうが良いような気がする。

 駐車場につくと真っ暗だった。ジムの仲間とその連れの方と別れ、真っ暗な中を走り出した。自動車の外気温計を見ると2℃だった。やっぱり寒かったようだ。道理で駐車場に氷が張っていたわけだ。

 帰りはいつもの道で帰ってきた。いつもの道とは、新奥多摩街道から甲州街道を使う方法だ。途中、用事があって少し寄り道をしたが、9時頃には家に着いた。多分、実質3時間ちょっとくらいだったろうか。なんだか高速を使ってもあんまり変わらないような。気がする。かも。


戻る

作成年月日 平成20年12月 9日
作 成 者 本庄 章